腳力盡時山更好
夏の仕事場では、毎朝、足湯が日課だ。長い上り道から始まり往復5000歩ほどだろうか。
数値の根拠は、産業革命以来と嘯くのが「常識」とされているが、地球46億年の足跡を辿ってモノを発言して欲しいよ。
で、漢詩なのである。 足腰のことを考えていたら、40年近く前の原稿がよぎった。30年前に連載の雑誌類はすべて棄てたので手許にはない。そこで版元に問い合わせたら、200ページほどを、すべてスキャンしプリントアウトまでして戴いた。感極まった。 「ちょっと疲れた目の下がだぶってきて、 何かじっと考えるてる、考えることなんか何もないのに。 だけど考えるんだ。矛盾を抱えた困惑の男性美なんだよ。」 『鶴田浩二論』(三島由紀夫)
ちなみに足腰が40年前になった気になった。「白蛇伝」に祈るばかりた。汗笑)
令和六年三月二十四日 |
透過光の静謐を覚える
ドキュメンタリー 『OZAWA』 (1985)を観た。若い頃、モービル音楽賞受賞の折、撮影の好機を得たが、改めてドキュメンタリーを繰り返して観た。全編に流れるのは「音」なのだが、何故か透過光を通した茶室と重なったのである。
木洩れ日を浴びる煙草盆が美しいが、単なる飾りでしかない。火入れの灰おさえの所作を見ていたら、一服といきたいけど、ネ。おかしな世の中になった。
令和六年三月十一日 |
ワン公とニャン公 いわゆる犬派を70年自認していたが、あるきっかけで猫を飼ったが、日常の動きがまったくちがった。
猫は犬のように同情を引くような眼差しは一切なく、いつも冷たい視線をレンズに向けていた。シッポの振りもその動機が不明だ。身近な四つ足が、かくも違ったのはその動きだ。毛の末端までニャン公の躍動感がワン公を圧していた。 美術でよく云われるフォルモロジー(形象学)に興味を引く昨今だが、ニャン公の運動におけるフォルム美として遊んでみた。
小像たちを試験管の中に入れて攪拌したくなった。
今日は紀元節。
令和六年二月十一日 |
正月は終わった お寺の巨大な鏡餅。10年前までは、坊さまが細かくして壇信徒さんに配っていたが、いまは出入り口付近に「ご自由のどうぞ」となっている。この鏡餅を家に持ち帰るだけでも大変な作業で、また「解体」はさらに難儀するが、数年前から我が家で「解体」の儀が恒例になった。
そう、格闘技のような「修行」なのであるぜ。 金剛のように超固い餅の外皮に熱湯を浴びせつつ、ナイフで切り込みをつけ、そこから切れ目を増やしながら「解体」するのだ。上段の餅だけで2時間を費やし、小さくなった餅塊 はベランダで天日干しに5時間。 で、仲間に半紙にくるんでお配りするのが、坊さまに変わっての役目なのである。
能登半島の苦難をはじめ諸々の苦渋を噛みしめるように、毎日、かけがいのない餅をいただいている。
令和六年一月二十一日 |
暴れ辰 昨年夏、輪島の塗師の作品を撮った。塗皿の色調に合わせ、食卓には普段あり得ない食材の数々で独りほくそ笑んでいた。311の記憶がまだそこにあるのに、能登半島なのである。 |
そんな悶々の中で、知人から嬉しい知らせだった。さすに日本列島は強靱なのである。
———【展示会のお知らせ】 日程:1月17日(水)~23日(火) このような状況下ではありますがポップアップを開催させていただきます。
ほっとした お知らせ であった。 令和六年一月一五日 |
辰の叫び 。 西之島で辰が動きだした。世界の地質学者が結集し、その成長の謎解きを始めているのだ。海底火山
はいたるところで噴火しているが、島は2、3年で沈んでしまうのが常。しかし西之島は軽い安山岩なので沈まないのだ。
つまり地球上の大陸と同じ形成過程だと地質学者が興奮してテレビカメラに向かって叫んだ。
元旦から唐突だが、レンズを向けた朝鮮琴の音色が、百済っぽいのが胸底に響いた。 「みじめさの中で、聖性を夢みていた」と主人公が語った小説を、昨年末から読み返している元旦だ。
令和六年一月元旦
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