洗顔前の愉悦

朝五時。窓を開けると無遠慮にエッジが効いた冷気が入り込む。

で、コーヒーを淹れ一服。 写真機は三脚に常時セットしてあるので、空の塩梅で撮る。

雲、風、月、明けの明星、朝陽のご機嫌で一喜一憂。まるで今日の運勢を占っているようなのだが、自分の目の高さで写真機に閉じ込めることが出来るのだ。

15分ほどだが、「行」に似たある種の達成感に繋がるから不思議だな。

風を撮る

もう35年ほど前か。VHSカセットレコーダとデカいビデオ撮影機の時代が懐かしい。今はタバコケースほどのサイズになっちゃった。それでいて、画質は革命的に飛躍し、4K画質も当たり前になりつつある。

風を撮るのもけっこう充実感があるこの頃だ。木の揺れ、雲の動きなどメモ帖に書き留めるように撮るのだ。今日の風に自分を置き換えたり、こちらも一喜一憂。揺れる自分を弄んでいるのだ。

生の充実なのかな。

うん、なかなかよいのだ。

わが心 濁せば濁る 澄めば澄む 澄むも濁るも 心なりけり(木喰)

 

令和二年二月十日

 

 

三度消された

世界地図から三度消されたポーランド。

「誇りは仕事の絵付けとショパンよ。」

ポーランドはポズナニのコウオ窯で働く赤毛の陶工ヘレナさんの笑顔を思い出したのをきっかけに、某社の「営業企画」に強引に参加した。僕はその衝動にとても満足している。ショパンの手垢、足跡そして叫びと囁きを辿って往きついたのが40年ほど前の聖十字架教会。教会では観光客が肩を競い合うようにある柱に向かっていた。 みな神妙な面持ちだ。

「このなかにショパンがいるの。」通訳嬢は、頬を紅色にほんのりと染めていたようだった。

 

 

極私的空間の肖像

檜専門の某日本建築関連のクライアント向けのレジュメの写真選び(80点余り)に燃えに萌えている。

題して「極私的空間の肖像」。 家族、学校、会社、社会、国家と組織の大きさは問わず、僕のコンセプトはマイホームでの逃げ道、避難場所(それらを世間では癒やしとも云う)の構築だ。

かつてはトイレ、バスルーム、あるいはマイカー、各人の部屋だったが、日常誰もが眼に入る共有スペースであることが大前提だ。

そう、田舎の道端にたたずむお地蔵さんが分かり易い。

 

ショパンの心臓から始まった「営業企画」だが、おばあちゃんが籠もっていた仏間も「供養」という逃げ場だったかも知れない。そうそう、「信仰」も手段なのであってそれがプロも含めて「目的」になっちゃってる人が多いな。

いわゆる「道」のつく精神世界は、どっか怪しいところがけっこうある。

 

ビールを呑み干した後のグラスの泡やタラークの一文字も、僕にとっては今日の極私的空間の肖像なのである。 でも攻めても攻めてもの一文字さえも、逃避行に繋がっているのかも知れない・・・・・

 

自分の奥の奥に仕舞っているモノに興味があるこのごろだな。

そっか、逃げるが勝ちかぁ。(相手が自分であるだけに厄介な策でもあるのだが。)

それにしても月照さんの 逃避行 って美しい。

 

令和二年一月二十九日

 

 

 

一〇八 の祈り

フランスのシャトーを貸り切ってのお茶会、マイセンの器で茶懐石などなど、様々な企画が再生しつつある昨今だ。

で、「春夏秋冬 餅レシピ108」が動画処理で復権だ。子役として美空ひばりと共演したそのお声には、思わずほっとする。本は現在はKindle版のみだが、ノミの涙よろしく律儀に印税も入るんだぜ。 著者の斎藤宗厚先生は七年前にお隠れになったが、どっこい 「寫眞文庫」では、よくお会いするのだ。

 

 

令和二年一月十八日

 

 

 

 

越智貴雄って凄い男だな。

「出口のないトンネルの中で」「元気に振る舞うことに疲れ、次第に自信がなくなり絶望した。」

事故で左大腿部を切断したY子さんの義足が、写真集の表紙になった。

「自信をなくした方には、この写真集を是非見てほしい。」ともY子さん。

屋久島登山も行いハイジャンプの世界記録保持者のMさん(写真左)は2020東京ではメダル候補だ。

 

「うれしくて泣いちゃった女の子もいましたよ。 」

「 義足に血が通うまで 」義肢装具士の臼井二美男の優しくも重い言葉だ。

逞しく走る義足のなでしこアスリートたちに応援の2020東京だな。

越智貴雄カメラマンは写真を通して菩薩道を突き進んでいるのだろうな。

ところで五体満足って何なのだろうか。あらためて考えてみた。

 

木喰の 衆生済度の 一念は 身の困難も いとはざりけり

 

令和二年一月十三日

 

 

鑑賞用の写真などほとんど無いが、唯一四十年前 から額装しているのが、このモノクロームのワンカット。題して「玉、笑う」だ。

一九七六年にパリで撮ったジャン ピエール アロー氏は、現在も活躍なさっておられるようで、昨年某代理店から「若いころの・・・・・」とのオファーがありポジフイルムを二点探し出した。

 

 

 

 

 

二〇年前、かなり無理してブローニーサイズのフイルムスキャナーを購入したが、十年ほど前にはドライバが更新されずスキャナーは惰眠中。

やむえずカメラでデュープと相成った。幸いシャープネスを含めた画像処理で名刺版ほどのプリントが可能になった。

 

写真右は一九七六年に撮影。 左は現在のジャン ピエール アロー氏(WEB転載)だが、四〇年以上経てもあまりお変わりにならない。

ミラーとその上の額絵はまったく配置が同じだ。

体型もさることながら、モチーフへの内なる圧倒する熱量が男の美しさを「今」にしているのだろう。

こんな素敵な出会いがあったのも、現在も活躍しておられるパリの 赤木曠児郎さん とのご縁があったからだ。

赤木さんは昨年も「八十五歳記念 赤木曠児郎展 」を日本橋三越 で開催された。

赤木さんのご紹介でル・サロン、サロン・ナショナル・デ・ボザール、サロン・ドトーンヌ、サロン・デ・アンデパンダン等、「美の専制者」たるパリ画壇の会長、長老のアトリエ巡りは四十年以上前のことだが、昨日のごとくである。

赤木さんのアトリエで戴いたオニギリ、忘れられないな。

 

令和二年一月九日

 

 

 

 

 

五日つづいた一時間遅れのご来光。白椿の陰影をしばし眺めていたら僕の脳天を 「風 」が抜けていったようだ。

元旦に記した光悦と宗達の夢のような会話を再び。

 

「この蕾の座りだすなあ。言うたら、畳の上の茶碗みたいやなあ。」

「それだけやない、腰の上と下の色の加減がまたええやろ。木の一番ええやつを選ってきたよって。」

 

たわいもない談義を、光悦は形にしたのだ。 日常の一つひとつを紡いで往く愉しさを実感した正月かな・・・・・

 

 

令和二年一月五日

 

 

またまた、またまた、またまた年が明けちゃった。

「加茂本阿弥」と呼ばれる白椿は毎年撮っているが、友人から「月照」という美形を極めた白椿のことを教わった。

で、近所数軒の花屋で探したが白椿そのものが無い。ネットで検坊したら、なんと椿の種類の多さには驚いたな。

それにしても、コレって何?  a gnes b.  のコォト が買えるではないか。

 

 

「これ土産や」

枝についた蕾だけの白椿を宗達が差し出した。

「そらおおきにだすけど、なんぼ言うてもこら早すぎだっしゃろ。花を待ちきれまへんやろ。」と光悦。

 

しばし光悦 ・・・・・ 「ウム」

「この蕾の座りだすなあ。言うたら、畳の上の茶碗みたいやなあ。」光悦が続けた。

「それだけやない、腰の上と下の色の加減がまたええやろ。木の一番ええやつを選ってきたよって。」

宗達が得意になったのだろう。

琳派が誕生した瞬間だった。

このやり取りで命名されたのが「加茂本阿弥」という毎年撮る白椿だったのだ。

(平成20年に東博で開催された「大琳派展」の図録は、僕の宝なのだ。)

そうそう、「加茂本阿弥」だけど容貌は「月照」に負けるが、ま、いっか。

 

宗達の「腰の上と下の色の加減がまたええやろ。」 とは、椿の白と葉の濃い緑なのだろう。

光悦は蕾を茶碗、葉を畳に見立てたのだ。自在な発想が世界人の所以なのだろう。(元旦のご来光七時十五分 撮影)

二人を主題とした小説でも映画でもこの世にないのかな。 ツーショットの極めつけだ。

 

 

 

昨年の正月に撮った薄氷に遊ぶ「加茂本阿弥」

 

令和二年一月元旦

 

令和元年 「最近の事 」

 

↑ PAGE TOP