断崖絶壁から見下ろす地中海

 

 青の中に青がある、と表現されるコート・ダジュールだが、じつはこの呼び名はそう古いものではなさそうだ。かつてはイタリアの領地であるかのように、この一帯はフレンチ・リヴィエラと呼ばれていた。

 誇り高いフランス人にとって屈辱であったろうが、一八八八年四月二八日を期して、フランス人はコート・ダジュールつまり紺碧海岸と呼ぶようになった。その記念すべき日は、フランソワE・Sリエジェアールが著した『コート・ダジュール』が、アカデミー・フランセーズのボルダン賞を受賞した日であったのだ。

「一千年以上の歴史があるエズ村も、一九二〇年、ユーゴスラビアのヴァイオリニストが訪れるまで、荒れた城塞跡でしかなかったのですが、彼の目の前に一匹の黄金の羊が現れましてね。羊に案内されるままに行ったのが、当ホテルがあった所だったんです。あまりの美しさに見とれてて、ふと、振り返るとその羊の姿が消えていたのです。ハイ。」と、メートル・ドテールのヒュイット氏の楽しい説明。

 五百メートルちかくはある断崖絶壁から地中海を見下ろすこのホテルの名シェーヴル・ドールは、黄金の羊という意味。金の羊に守られこの絶景を調味料としたこれからいただく昼食がまずかろうはずはないだろう。

 

飛行機に乗り遅れ

 プールサイドに落ちたクロワッサンのクズを、小鳥の群れがチュン、チュンとつついる。昨夜このホテルにチェックインしたのは、予定よりも五時間も過ぎた午後十時ころ。早々にパリでの仕事を終え、南の太陽に誘われるように搭乗一時間前にはシャルル・ド・ゴール空港に到着。

 チェックインはあとで案内するとのカンター嬢の言葉に安心し、バーでビールを一杯。南仏の太陽に乾杯とさらに一杯、そして僕と愛犬ポチの健康のためにもう一杯と調子にのったのが失敗だった。時計を見ると出発一〇分前、あわててカウンターに行ったが時すでに遅しでチェックイン・カウンターは固く閉ざされていた。

 乗り継ぎカウンターでその旨を告げ、三時間後の搭乗に切り替えたが、さあその三時間をどう過ごすかが問題。これもトラベルのなかのトラブルだろうが、ようは時間と状況とのつき合い方。むだに思えるこのようなことは、なに日本でもよくあることだし南仏へのプロローグが長くなったと思えばそれはそれでよいではないか。

 負の素材をいかにプラスに転化するかは旅の問題ではなく人生の命題でもあるはず、幸い相棒も飲ん兵衛だし、ここはシャンパンでもう一度乾杯のやり直しと相成った次第であった。

 

 

とびきり極上を夢を見る。

 まだほろ酔いだったがニース空港でレンタカーを調達し、海岸線をモナコ方向に走った。この道はリヴィエラのコルニッシュ(崖道)とよばれ、数おおくの名画に登場したところ。

 もう秋が近くなのに観光客で賑わうニースのプロムナード・デ・ザングレを右手に、さらに海岸線を走った。ニースの旧港のあたりから町のなかへくねくねと少し入るが、あわてることはない。どんな小さな道でも道標はあり、目的方向つまりモナコの文字さえ見失わなければ迷うことはない。

 たとえ迷ったとしてもよいではないか。その迷い、惑いも旅の土産にするくらいのふてぶてしさが個人旅行の第一条件なのだから。車の運転に関してはコラム欄でしっかり紹介しよう。 

 

 途中、少し寄り道をした。ヴィルフランシュ・シュル・メールという美しい港町だ。パッケージのツアーではほとんどが通りすぎてしまうが、僕は物語りが始まりそうな予感がしたら、かならず立ち寄る町。

 「ヴィルフランシェを眺めると/わたしの青春がよみがえる」と謳ったジャン・コクトーは三六歳のとき、この港町のウエルカムホテルで戯曲『オルフェの遺言』を書き、阿片 に耽溺していた彼は部屋の鏡に向かって自画 像の連作『鳥刺しジャンの神秘』を描いた。 

 さらにコクトーは「ヒトデのように名もない ものになってほしい」と一九五七年、海辺の 一七世紀のエール礼拝堂の装飾の一新に没頭。ひんやりとした礼拝堂には、キリストの一 二弟子のひとりで元漁師であったサン・ピエ ールがコクトーらしい筆致で描かれ、燭台な どもコクトーの作品で装飾されていた。   

 魚師たちの守護聖人であったサン・ピエール、そして漁師たちに捧げられたコクトーの礼拝 堂を思うとき、自然と目にはいってくるのが 海辺にずらりと並んだはシーフード・レスト ラン。海辺で地中海の魚介類をたらふく食べ たい、そう思うのは僕だけではあるまいが、まだチェックインもすませておらずエズ村へ向かった‥‥‥

コートダジュールには、「鷲の巣村」と呼 ばれる山頂に家々が密集している村が五〇ほ どある。これらの村は一四世紀に作られた城 壁に囲まれており、サラセン人の襲来に備え ての町造りであったという。       
 地中海が紺碧から深い藍色の変わる午後九 時ころ、岩山のいただきに忽然とエズの城塞 がイルミナーションに浮かび上がった。村は 石畳みの迷路のようになっており、車はホテ ルの前までは行けない。

 車が入れる城門のと ころにホテルと直結した電話があるので、こ こでギャルソンを呼ぶ。 案内された僕らの部屋は地中海に面した一二号室。断崖に突きでたバルコンへつづくドアを開けると、ふかい闇の地中海は沈黙を守っていた。遠くにはコクトーも遊んだサン・ジャン・キャップ・フェラの明かりがチラチラと見える。                   

 グラスとボトルを持って闇に浮かぶプールサイドに出た。夜風が気持ちよい。ふと見上げるとと太い梁をあしらったレストランが見える。もう食事も終わりごろなのだろう、白服の給仕たちがカフェをサービス。一六年来シェフとして活躍するエリー・マゾ氏もますます健在と聞く。

 今晩のお薦めは鳩のシュプレームか赤魚の赤ワイン風味だろうか。それとも僕が好きなスズキの網焼きだろうか。みな満腹だろうが、僕らはシャンパンとフルーツのみで十分すぎる夕食を終えた。
  今宵はとびきり極上を夢を見るのだ。

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