お菓子の時間を大切にする国、ベルギー。
一二月のサンニコラ祭から三月の謝肉祭にかけて、
パティシエ(菓子職人)たちの一年で最も忙しい時期が始まる。
伝統と習慣によって生まれた美しいお菓子たち。
熟練された技によって、
丁寧に生命を吹き込まれた甘い香りは、これから凍りつくような寒さを迎える
ベルギーの人々に幸せを運んでくれる。


文・近藤冬子

 

想い出の修業地ブリュッセルヘ


 ベルギーの冬の空はおおかた灰色で、冬景色はいかにも寂し気だ。そんな重苦しい気候の反動だろうか、ベルギーでは一二月六日のサンニコラ祭を皮切りに、クリスマス、新年から謝肉祭までお祝い事がひっきりなしに続く。どこのお菓子屋にとっても一年で一番忙しい季節であり、職人たちの腕の見せどころの時期でもある。そんな一二月の初旬、ブリュッセルを訪れた。
 二〇代の頃、パティシエ(菓子職人)として修業をしていた街である。

ブリュッセルに到着した私を迎えてくれたのは、大柄でひげをはやしたマーク・ドゥバイヨル氏と奥さんのネリだった。老舗のお菓子屋で修業をしていた時のシェフで、古くからの付き合いの夫婦だ。マークが「君に頼まれたジャヴァネを持ってきたよ」と車の後部席の袋を指さした。ベルギーの伝統菓子、ジャヴァネは両面を焼いた薄いビスクイとモカ風味のバタークリームが幾層にも重なりあったお菓子だ。ジャヴァネ、すなわち「JAVANAIS」とはジャワ島の人を意味する。一九世紀にオランダの植民地であったジャワ島でコーヒーが栽培されていたそうだが、このお菓子はコーヒーが珍重されていた時代の面影を忍ばせる。
 
  ベルギーではどこのお菓子屋でも見かけるが、最近のものはビスクイの焼き方が白く、香ばしさがない。私の記憶にある味も年月とともに変わっていくのかと思っていたが、二人から手渡された小箱をそっと開くと、期待通りのジャヴァネが顔をのぞかせた。
 
  翌朝、ルイーズ通りの通勤ラッシュを抜けて、「オー・フラン・ブルトン」を訪ねた。一九二〇年の創業以来、商店街で親しまれてきたお菓子屋である。おいしいと評判のこのお店は現在、若い夫婦のパティシエによって営まれている。フラマン語圏出身らしい奥さんのペトラが、頬を赤く染め、温かい笑みを浮かべて出迎えてくれた。彼女は「ようやくサンニコラ祭の準備を終えたところよ」と、従業員と目を合わせてほっとため息をついていた。


 
ベルギーの子どもにはクリスマスの楽しみが二回ある。プレゼントをもらえる一二月六日のサンニコラ祭と、二五日のクリスマスの日だ。サンニコラ祭前の店内は、子どもたちが喜びそうなマジパン細工やチョコレートがセロハンとリボンに包まれ陳列されている。ベルギーでは季節や行事にちなんだお菓子が、本当に大切にされていると思う。

  かごの中では、焼き立ての幾種類ものクック(クロワッサンなどのイースト菓子)が香りを放っている。お菓子屋の朝は早いのだ。朝七時には開店するので、クックとカフェを注文して仕事前のひとときを過ごすお客も多い。私も二つを選び、頂くことにした。まず、栗が入ったフラン・プルトン。カスタードクリームとプリンを合わせたような食感で看板商品として初代から作り続けている定番である。

 


 
もう一つは庶民的なお菓子のタルト・オーリ。お米とバニラを煮てタルトに詰めて焼いたものだ。このお店のものは、お米とは思えないほどふわっと柔らかく煮たクリームがおいしい。忘れられない味だ。
 
  もう一軒、サンニコラ祭の準佑真っ最中のお菓子屋「マイユ」にも行った。地下鉄のストッケル駅の近くにあり、一日中、お客の足が絶えることがない。工房ではマジパン細工専門の職人が作業をしていた。アーモンドと砂糖でできたマジパンを粘土細工のようにこね、色付けして動物や人物を作る。数をこなすには相当な忍耐強さと器用さを要する仕事だ。広い作業台の上には子どもたちの守護聖人サンニコラの一団がお行儀よく並んでいる。

  大きな手をした職人が、やさしい眼差しで一つずつ仕上げていく。よく見ると、ちょっと表情の連ラサンニコラがいたりなんともかわいい。マジパンでは季節の行事に因んだ細工物が手掛けられるが、その年の流行りものにも職人は敏感だ。「ピカチュウは子どもたちが大好きだよ」と、黄色のマジパンで作られたピカチュウはサンタの赤い帽子をかぶっていた。

 

スぺキュローズの木型職人を訪ねて


 

 

 

 


 
サンニコラ祭は、クリスマスより一足先の子どもの祝日。伝説によれば、遠い昔、ある町の悪賢い精肉店の主人に殺されて樽の中に入れられてしまった三人の子どもたちを、サンニコラは哀れんで生き返らせたという。そんな古来からの伝説を象徴している伝統菓子が、一八二四年創業の老舗「ダンドワ」にあった。
 
  「世界で最も美しい広場」グランプラスのシュルル・ビュル通りにある、童話に出てきそうなお菓子屋からはスパイスの香りが漂っている。香辛料が富の象徴だった時代の名残なのだろうか。
 
  この時期、店内で目を引くのは大きなサンニコラのスヘキュローズ。四つのスパイスとカソナード(黒砂糖)入りの生地を焼いた、ベルギーに古くから伝わる焼き菓子だ。成型に用いる精密な木型も店頭に並べられている。見ると、使い込まれた年代物の木型にJVのイニシャルが刻印されていた。スヘキュローズの木型職人バントゥ・ボルドゥ氏の作品だ。
 
  私は修業時代に彼と会っているのだが現在は七〇歳を超えているはず。聞くとボルドゥ氏は現在も日々、彫刻刀を手にしているという。
 私はうれしくなり、ぜひ再会して自分専用の木型製作をお願いしたいと思った。郊外のアトリエを訪ねると、ボルドゥ氏は伝説の主人公、会社のロゴマークなとたくさんの細密な木型に取り組んでいるところだった。木型職人としての後継人は今のところ見つからないのだが、彼はベルギーの年中行事や行事の伝統を守る仕事を積極的にしているという。木型には、叩いても割れない丈夫な素材で、生の生地に接しても害のない梨、桜、楓といった木材が適している。堅い木を大小あわせて三七五本の彫刻刀で丹念に彫る。

  彫られる人物の表情は面長で彼自身にちょっと似ている。私はラ・ジュエット(フクロウ)の木型を作ってもらうことにした。
絵本のような風景の田舎町ヘ

 


 ベルギーの国土はフランスのわずか一八分の一と、こぢんまりした国である。ブリュッセルから車を走らせると、ぐるりと周遊できてしまう。
日が暮れかかる頃、ウルド渓谷のデュルブイに着いた。一〇分も歩けば一巡りできる小さな小さな街である。石畳の小道と石造り古い家並みの旧市街には情緒がある。レストラン「ル・サングリエ・デズ・アルデンヌ(アルデンヌのいのしし)」の野趣あふれるシビエ料理も有名だ。一二月二四日になると橋や教会、街全体がロウソクの灯りでともされ、それは幻想的な聖夜の光景になるという。

 帰国前に、もう一度ブリュッセルのグランプラスに立ってみた。一〇〇〇年の歴史を誇り、毛織物通商の要衝地として栄えた由緒ある商館が立ち並ぶ。若い時はその重圧感でうつとうしくさえ感じられたこの広場は商人の街の誇りと歴史で満ちている。

 

    広場はクリスマスの飾り付けを見に来た人で賑わっていた。見上げる高さのクリスマス・ツリーが立ち、クレッシユと呼ばれる、幼子キリスト誕生を模した馬小屋が設置されている。
 
  周辺にはクリスマス市が立ち、マッチ箱のような店が並んで工芸品やオーナメントを売る。子ども連れの家族、恋人同士、老夫婦、観光客…。
 グランプラスには、年齢も国籍も問わず行き交うすべての人を温かく迎えてくれる包容力もあることに気がついた。カフェでは読みかけの本を置いて、老紳士が何をするでもなく人の流れを眺めている。
 
  私もいつの日か、この広場で人生を振り返る時がくるのだろうか。

 

近藤冬子(こんどう・ふゆこ)
パティシエ。一九五七年ニューヨーク生まれ。
パサデナ市立大卒業後ベルギーにわたり、ブリュッセルの国立食品専門学校の製菓・製パン科卒業。菓子店の老舗「ヴィタメール」(ブリュッセル)「ルノートル」(パリ)などで七年間修業後、帰国。
東京・代官山のフランス料理店「レストラン・パッション」でシェフ・パティシエを務めた後、一九九五年に独立。現在、洋菓子教室・注文菓子専門店「ラ・シュエット」を主宰。

 

 

 

 

 


協力 日本航空文化事業センター アゴラ編集部

 

 

Kazarikei

 
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