とっておきのホテル
第15話
シャトー・サンマルタン



マダムの温もりに満ちたホテル


聖堂騎士団長の館跡がホテルとなった。

「じゃ、温かいラム酒にハチミツ、レモンをいれたものを彼の部屋に届けて」
 総支配人であるマダム・アンドレ・ブルネが給仕に命じた。というのは、じつはここにくる前に風邪をひいてしまい、頭はボーとするし、食欲はまるでなし。そんな僕をみかねてマダムが気をまわしてくれたのだ。客がなにを欲しているかを瞬時に見ぬく技量は、ホテルマンとしてあたりまえのことかもしれないが、それがけっこうむずかしいのだ。
 豪華で華麗なもてなしもうれしいが、その陰にあるちいさなこころ遣い―アンドレさんのようなやさしさ―こそがホテルと客をつよくむすびつけるのだろう。



南仏の安眠を約束してくれる。

 ホテルの外壁をはう緑のツタが、まるでこの建物の歴史を語っているかのような表情をしている。この地の歴史はローマ時代にまでさかのぼる。マチスの教会があるヴァンスから車で10分ほど南へ上ったこの周辺は、遠くに地中海を望み見晴らしがよいことからローマ人は強固な砦を築いた。そして350年、トゥールの司教であるサン(聖)マルタンが伝導のためにこの地を訪れたことから、ここの砦はいつしかサン・マルタンと呼ばれるようになった。1096年から始まった十字軍の遠征は勝利をおさめ、プロヴァンスの領主はその褒美として十字軍の参加者に周辺の土地をわけあたえた。現在のホテルはそのときに結成された聖堂騎士団長の館跡で、12世紀の角形の塔やはね橋は当時の名残りである。
 ここで興味をひくのが、騎士団埋蔵金の話。翌日、支配人が真顔でいっていた。1936年にこの館は現在のオーナーが所有者となったが、そのときの売却契約書には、もし埋蔵金が発見されたときは折半、と明記していたらしい。しかもこの契約書はあらたな譲渡人にも適用される、ということだった。謎というより、これはひとつの「夢」なのだろうか。


プロヴァンス・ワインの特性を生かした料理が自慢。


タップナードなどニンニクを意識した料理が多い。

 のびたツタがガラスの玄関まで垂れさがり、その光りあふれる緑のアーチをぬけると、清潔感のあるひろい廊下。白い壁にはフランドルのタピストリーや絵画が粋に飾られ、ポプリの香りが鼻をやさしく刺激し南仏の夢幻世界が漂っている。さらに奥に進むとイタリア・ルネッサンスの暖炉が、でんと座っていた。ここはホテルのロビーというより、個人の邸宅の居間のようで、お茶でも、シャンパンでもいただきたくなる気分になってしまう。
 光りに誘われるようにさらに進むと、全面ガラスばりのレストランがあった。白服の給仕がもくもくとワイングラスを磨いていた。しばらく彼のしぐさを観察した。一度拭いてはグラスを透かして汚れの確認、その動作を最低3、4回は繰り返し、グラス1個に3分くらいは時間を費やしていたろうか。客には見えないホテル全体のもてなしの心が伝わったようでとてもうれしい。
 マダムの温もりは昨晩のラム酒の温かさでもあり、そしてグラスを磨く給仕へと伝わっていくのだろう。


ゲストに細心の注意をはらう総支配人のマダム・アンドレ・ブルネ。



CHATEAU SAINT-MARTIN
Avenue des Templiers 06140 Vence France
TEL:33-04-93-58-02-02
FAX:33-04-93-24-08-91

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